シン・シティ

インターネット上の日記などで感想をちらちらと見るに、まあ面白いんだろうけど、お金払ってまで観に行くほどじゃないかな、と思っていました。
出来のいい娯楽映画のような印象。


娯楽映画と言えば、昔、『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観に行ったんです。
そうしたら調べた開始時刻が間違っていて10分ほど遅刻してしまって、「これだともう本編に入っちゃっているよねえ」と、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』を観ることになりました。
隣で感動にうるうるしている人の横、僕も目に涙を浮かべていました。
こんな映画でお金を取るなんて! 怒りのあまり、目に涙を浮かべていました。


そうだ、結局、映画の名前も言っていませんでした。
何故か行ってしまった『シン・シティ』。
ここのところ何とも退屈な日々を送っていたので、そのせいかもしれません。
一緒に行ってくれた人の言う「文化的なこと」を、してみたくなったのでしょう。


観始めてすぐに、嫌な予感が走りました。
あれ、これは、何も考えず原作を、ぽんと、再現しただけの、詰まらない映画なんじゃ……。
冒頭のわけの分からない展開、モノクロに赤などの一部の色だけ、色を出している画面、一昔前流行ったような当たり前の“汚れた”街……。
製作者が「酔って」作った、そんな印象を覚えました。


そして観終えました。
面白かった。
こんな街に住んでみたい。いや嘘嘘。こんな街を舞台に、物語を作ってみたい。
すぐにでももう一度観たい、と思いました。こんな映画は珍しい。


ベイシン・シティ、通称シン・シティを舞台にした三本のオムニバス映画。
このオムニバスという手法が憎い。
一本の、一人の主人公を定めた映画にしていたら、「シティを題名に使っておいて、結局は彼等の物語なんだな」と残念がっていたに違いありません。
オムニバスだったからこそ、主人公達ですら背景、街の一部になって、ああ、自分は今、街を主人公にした物語を観ているのだな、と喜べる。
登場人物ではなくその舞台に魅力を感じる。登場人物もよかったけれど。
恥ずかしながら『バットマン・イヤーワン』(『バットマン ビギンズ』の原作)では、人に言われるまで、ゴッサム・シティの魅力に気付かなかったのですが……今度はちゃんと拾いました。


この空気をRPGでも出そうと思うと、どうすればいいかな、と考えてみました。
それはきっと、モノローグなのでは。
単なる状況説明とは違う、各登場人物の哲学を自ら語る、饒舌なモノローグの存在が、こっそりと、大きく、作品の雰囲気に寄与しているのでは。
哲学を自ら語りながらも、大事な所にははっきりとは触れず、行動と合わせて見ることで、ようやく一つになるモノローグ。
ちょっと鬱陶しいかもしれませんが、うまくバランスを取ってモノローグを効果的に使えると、こういった街を舞台にするRPGでは素敵でしょう。


帰り道、仕事の残る部屋へ帰る途中、一緒に観に行ってくれた人との会話。
「ああ、前の WoD は、これがやりたかったのだな。*1くそっ、その時にアメコミに会っていれば」
「(『チェンジリング:ザ・ドリーミング』の)チェンジリングもあんな街に住んでいるんですよね? そりゃ死ぬわ」

*1:今の WoD は怪物の存在と、決して全容を明らかにしない秘密の存在を持って「ダークネス」と呼んでいる。旧作では「現実よりずっと退廃した現代」が「ダークネス」の故だった。