水の都の王女

J・グレゴリイ・キイズの『水の都の王女』上下巻、漸く読み終えました。
水の都の王女〈上〉 (ハヤカワ文庫FT)

水の都の王女〈上〉 (ハヤカワ文庫FT)


伸び伸びと書いて、且つ、ちゃんと一つの話としてバランスよく出来ているのは、羨ましいのう。

これは水の都ノールに住む12歳の王女ヘジと、ノールの遥か北に住む部族の若者ペルカル、二人の物語です。
大河の神に守られた都の王女として、人にかしずかれ、不自由無く恵まれた者としての不満ばかり募らせるヘジ。
ペルカルの方は、さる事情から大河を憎んでいる青年。
ヘジの少女らしい/王女らしい悩みとペルカルの波乱万丈の旅を交互に描いていくのですが、それぞれだけで充分に面白いのに、読んでいて「いつ二人は会うんだろう」という期待で益々先を想像する楽しみを享受するのです。
もう、それで、だいぶ満足して読んでいるのですが、会ってからがこれまた凄くて。
ぜんぜん、一筋縄じゃないんです。でも、王道の展開なんです。


古典的作品を読むとよく思うのですが、昔の方が、アグレッシブに色々な物語の方向を探っているような気がします。今、出ているのは、型にはまったものばかり、で。
そんなことをまたも思わせられました。


小説のテーマやら展開に関係の無い要素は入れない、という話を読むと「よくまとまっている」という印象を持つものですが、『水の都の王女』では、色々なエピソードが関係あるのやら無いのやら、という曖昧な状態で。
それで、読んでいる最中は、散漫というか、「今まで読んできた話は、それはそれで面白いけど、あんまりこの後に直結はしないんだろうな」と思いつつ読んでいました。それは、読み終わった時まで、ずっとそうでした。
けど、読み終わって、もう一度、この物語を振り返った時に、とてもバランスよく全部が配置されているような印象を受けてしまったのです。
プロローグとして、よく分からない、本編には最後まで関係して来ないエピソードが描かれるのですが、それも、最後に読み返すと、ぼんやり意味をとり始めているのです。


こんな作品、かなり理想的だよなあ。
伸び伸び、バランスよく。
続刊の『神住む森の勇者』が楽しみですわ。