感情移入できない

今月の4日に初めて観た『おねがいマイメロディ』(第36話「地球が救えたらイイナ!」)が近年稀に見る面白さで、どう感想を書いたものか悩んでいるうちに、別の映画を観てしまいました。
マイメロ』についてはまた今度、余裕があれば書くかも知れません。


観た別の映画というのは、黒澤明とも交流のあったと言うテオ・アンゲロプロスの『狩人』です。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16511/index.html
観た切っ掛けは単純で、以前、この映画の最初のシーンだけ見たことがあったんです。雪の中狩人が歩く場面で、風景がとても綺麗だなと、それが印象に残っていました。それだけです。
いざ観てみると、感情移入が全然できない映画で、途中何度か寝そうになりながら観たのですが、最後がとてつもなく、考えなくちゃならなくなってしまって、それが、面白かった作品です。
粗筋も上のリンク参照。


この人はよく「ワンシーン・ワンカット」が特徴として語られるようです。その名の通り一つのシーンを一つのカットで撮ってしまうことです。うろ覚えですが、アップといった技法も使っていなかったのではないでしょうか。
まず、これが感情移入を妨げます。


でも、それより注目したいのはカメラの動きです。
一シーンが数分にも及ぶ中、ずっとカメラは登場人物を追い掛けるんですが、その間じっとしているわけでは勿論無く、かといって単純に登場人物の「いい角度」を撮るわけでなく、カメラ即ち観客が映画の参加者であることを否応無く意識させられるようになっています。
登場人物の視線を代弁する画面は確か1カットしかありませんでした。
どの登場人物の視点でも観ることのできない、ただ、観客として映画に参加する、という状態です。
だから、特に最初は全然誰にも感情移入できず、タイクツで、眠たくなってしまうわけです。


映画を観た後読んだ、DVDに付いている冊子には、アンゲロプロスのインタビューが載っていました。
その中できちんと本人が「誰にも感情移入できないようにした」と、言っています。
その試みは成功していて、それには観ていて割りとすぐに気付いて、憤りました。
「作品で説教すんなよ。そんなことは口でやってくれ。今までの映画の見方を批判するのは、口で」と。


でも……
僕が間違っていました。
最後の30分があまりに面白い。まさか、こんな終わり方をするなんて。
確かにこれを終わりに持ってくるなら、そういう手法が必要だったろう、と思われます。
単に新しい技術、手法を試したのではなくて、ちゃんと、必要だからやっていたのですね。
失礼な思い込みをしていました。
狩人達が踊ろうとして踊れない場面、言葉が出ませんでした。
「観客」だから、楽しめました。


こういう映画の話をする時は、相応の「目」を持っていないことが、不安です。
次は、やはり1シーンだけ観たことのある、『霧の中の風景』かな。
「時間を忘れながら、急いでいる」姉弟に、会いに行きます。