巨神戦記ギガントマキア

今冬の三つの新作うち、一番の期待作である『巨神戦記ギガントマキア』を遊んで来ました*1
やー、面白かった。
『アニムンサクシス』や『レジェンド・オブ・フェアリーアース』(の体験報告)からは想像できない、よく出来たシステムでした。
これは諸手を上げて受け入れられるし、自信を持ってお勧めできます。


西暦と呼ばれた時代が終わって千年、様変わりした地球上で人類が住めるのは、かつて日本のあった「列島」と呼ばれる島のみ。
「神の血界」で守られているここは、「パシオン」なる組織が送り出す「鋼魔」という巨大な機械仕掛けっぽい化け物の標的になっていた。
神の血界を作った“電脳神”マザーの組織A.R.K.で、鋼魔を撃退し得る数少ない人材である「クルースニク」即ちプレイヤーキャラクター(と他少し)が巨大ロボット「ギガース」を駆ってそれを撃退し、列島を守る。
……という世界観・設定のシステムです。大幅に端折りました。
識者によれば参考資料は『ガオガイガー』だとか。


このシステムではシナリオの作り方とセッションの進め方ある程度規定してしまって、それを指して「ステージ制*2」と呼んでいます。
予めGMがやる予定のシーンを三つくらい並べ、そのシーンの舞台と「シナリオキー」となる言葉を一つ二つ書き入れます。その後、プレイヤーが、自分のキャラクターをどのステージに登場させるか決めて、GMは順番に場面を展開していきます。
つまり、プレイヤーが、舞台とシナリオキーから自分のいるべきステージを考えるのです。「自分の(物語上の)役割」と「自分が登場したいステージ」との折り合いをつけて。


プレイ前はこのルールを「あるステージが終わったら、次のステージを複数の選択肢からプレイヤーが選ぶ」という物だと誤解していて、それなら「過去」「誰かの脳内世界」などのステージを用意しないと面白くないんじゃないか、と思っていましたが、勘違いでした。
お詫びします。
今でもそれらをステージとして用意するのは面白いと思っていますが、そうでないステージだけでも十分面白いと、今では思います。


大抵は「自分が出るべきステージ」というのはすぐに分かるんですが、たまに読み違える、読み違えが発生するというのが楽しい。
例えばセッション中、舞台「方舟(ギガースを積んでいる空飛ぶ船)」で、シナリオキー「レイク(女の子NPCの名前)」「包帯」というステージがありました。
このレイクなる少女はシナリオのヒロインで、セッションが始まる前から絡むべきPCは決まっているようなものです。
彼女は前半でマシンネイチャー、即ち機械で出来た体に精神を後から入れた存在であることが分かっていて、どうやら成長の無い自分の体を悲しんでいるらしいことも演出されていました。
当然、先の「絡むべきPC」は、ここに出ます。
僕は出ませんでした。これが、失敗でした。
と言うのも、僕のPCもマシンネイチャーで、そして、シナリオキーに「包帯」があるのです。機械の体なのに包帯? そう、これは僕が突っ込むべき重要な事項である筈です。なのに、見逃して、別のステージに出てしまった*3
悔しい。
「悔しさ」がゲームを長く続けていく上で重要なのは周知の通りですが、こういう駆け引きが分かり易くあるのはステージ制の長所だと思います。勿論どのステージにもそんな駆け引きを入れたりせず、さっきも言った通り大抵は分かり易いステージばかりなのですけれど。それがバランスがいいのですけど。


ステージ制の別の特徴を挙げましょう。
「ストーリー進行上、留意すべきこととそうでないことがはっきり分かる」点です。
お察しの通りシナリオキーには留意し、それ以外は気を抜いて好き勝手やっていいわけです。
これが、シナリオ全体を通して一つか二つ、多くて五つ程度、という提示でなく、ステージ(シーンと思ってください)毎に一つか二つ、という区切りの短さが、脳がパンクせずとてもプレイし易いのです。
クライマックスで興奮してくると、最初は分かっていた「するべきこと」を忘れてしまった、などというよくあることを防げるわけです。
ほぼあらゆる要素を伏線として後に残しておくべきだ? はい、その通りだと思います。そしてステージ制はこの主張と対立しません。
ストーリーはシナリオキーに留意することで進めていって、ドラマは(シナリオのメインも使いつつ)その他の要素で展開する、ちょっとしたプレイヤーの発言やPCの設定を使って盛り上げる、というのは、誰もが自然にやっているセッションの仕方でしょう。
一本道シナリオでは非常に使い易いシステムです。それ故の限界もありますが。


避けられないでしょうからFEARの「シーン制」と比べると、もう少しプレイヤーに物語を作る権利と責任が委譲された感じです。
プレイヤーを(比較的)信頼してくれているようでちょっと嬉しい(笑)。


また、カードの話をしないわけにはいきません。
シーンでシナリオキーをうまく刺激するとカードが引けます。
これは「演出」「判定を有利にする」「ステージへの登場」「特殊能力の発動」に使うことができます。
演出用の項目として「セリフ」と「描写」が用意されています。
憶えているセリフが無いのででっち上げますが「希望」という種類のカード*4にセリフとして「見よ、あれが希望の太陽だ!」と書かれているとすると、曇っていても何らかの物を太陽に例えたりして無理矢理このセリフを言う、という面白さがあります。
ルール上規定は無いのに、ついつい「判定を有利にする」「特殊能力の発動」などでもこの演出を使ってしまいます。
この無理矢理感が溜まらない。


誤解の無いように言っておくと、これは別段「ふざけた」楽しみではなく、「イレギュラーなことをいかに物語に絡め、戻していくか」という楽しみ方はRPGの非常に面白い要素の一つです。ファンブルに喜ぶのもこの類でしょう。「自分を制御できない」ようなルールがあるRPGもこの部分の楽しみを否定できないでしょう。キャラクターの背景がランダムで決まるのは正にこれです。
自分で気付いたのでなく受け売りですけど。


そんなわけでお勧めのシステムです、『ギガントマキア』。
世界設定にはちょっと突っ込みたい所が多かったりしますし、もしかしたら題材は時流を読んでいませんし、「世界観が浅い」と言われればそれはそうなんでしょう。シナリオパターンがやや少ない気もします。
でもルールは面白い。この世界観あってのルールも多い。世界観が好きならかなり楽しめると思います。そうでない僕ですら、こんなに楽しいのですから。
(愛がある故にかえって楽しめない、ということも考えられますが……)
もしこのシステムが、知名度のせいで変なバイヤスが掛かって評価されるのなら、RPG界は恐ろしいなあと思います。別に必ずしも褒めなくていいんですが。
世界設定はプレイしないでも突っ込める所なんだということに気付いてしまいました。


そう言えば、一緒にプレイしたプレイヤーが「やりたいことを一つに絞って、それをやることだけを追求したことが特徴的だ」と言っていて、その時は「別にセッションする分には特に問題になってこないんじゃん?」と思っていましたが、この日記を書きながら理解できた気がします。
彼はシステム作成時の志のことを言っていたのでしょう。
なるほど、そういう視点ならば納得、そして称えたいと思います。


次は『カオスフレア』をプレイして比べてみたい。
それぞれに別のよさがある? そもそも別物? そうですね。

*1:他二つは『異界戦記カオスフレア』と『ゲヘナ〜アナスタシス〜』。周囲の購入状況を鑑みて『ゲヘナ An』を買う予定。あ、「RPGamer」に付いてくるシステムもあったか……

*2:「シーン制」を意識しているのでしょう。

*3:一応、最初に決めたステージ以外に途中から登場するルールもありますが、色々の事情で今回は出ないことにしたのでした。

*4:カードには五種類あります