左の右

蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT〜single program〜』を観ました。
顔筋と目のよく動くアニメだなあ。実写の俳優みたい。というのは流石に言い過ぎですか。
http://www.starchild.co.jp/fafner/


まるでSFのような番組でした。
ファフナー』の放映時は、たった五話くらい、それも飛び飛びでしか観ていませんでした。
観た回が面白くありませんでしたし、そうでなくてもいい噂は聞かなかったものですから。
今回は録画した人がいて、僕みたいな人に感想を聞きたいと渡されたので、観ました。
観終わってすぐにもう一度観てしまいました。
設定や、本編の登場人物も全然覚えていませんでしたが、面白かった。
本編を知らない僕は、かえって楽しんでいたかも知れません。
本編もこれから観てみようかな、なんて。がっかりするよ、と言われましたが(笑)。


RIGHT OF LEFT、そのタイトルを聞いた時には、嫌な予感しかしませんでした。
左の右、そして、ダブルミーニングで残された者の権利*1。こういうのって大抵、裏意味の「残された者の権利」しか意識されず、そもそもの「左の右」は表面的な表現に留まりがちです。
が、観て、これは、ああ、左の右の話なんだな、と感じられて満足しました。
余談ですが、「左の右」というお話に「ハザマ」という名前の人が出てくるのは反則だと思います(笑)*2。チョイ役だったのに一番印象深い名前。


以下ネタバレしながら感想を述べようと思いますが、その前に一つどうでもいい話を。
ちょっと噂になった、(恐らく)SF史上初登場のシリコン「型」生命体、この「RIGHT OF LEFT」ではさり気無く「珪素生命体」に直っていました(笑)。
これ、本編では途中から脚本を書いている沖方丁の脚本なのですが、多分彼及びスタッフが、本編で語れなかったことや、実は不満に思っていたことを何とかしたい、というのが大きな製作動機なんじゃないかなあ。
本編を観ていないんで本当のところは分からないのですけど。


追記。
5日の日記(id:s2_it:20060105:p1)もどうぞ。


さて、今度こそネタバレ感想。


まず、主人公二人が死ぬということは、本編を知らない僕が一番楽しんだ筈。
ファンはそんなことは、最初から分かっていたのでしょうから。


左の右、即ち今自分がいる所*3ということで、最初から全開でそれをアピールする主人公将陵僚。
再三に渡って「自分に構ってくれる人は大事に、居場所を大切に」と後輩達に呼び掛けます。
友人が殆ど“卒業”してしまって、尚更そう感じているのでしょう。残っているのは副生徒会長の生駒裕未くらい。


もう一人の主人公生駒裕未は……どうなのでしょう。
父に「居場所を与えている」と思っているところ、それを僚にも向けてしまうところがテーマの前振りでしょうか。
最初は振り回されて、一時間を通して一気に心境が変化していく、この人が主人公だったのかも。
最期にも、右に立っていましたし*4


その後もファフナーへの感情、L計画への参加意義の考え方の違い、といった対立から徐々に、生駒父の擁護、海を見ながらの和解、そして最期の海底でのシーンと、うん、やはり裕未が主人公なんでしょう。
最初と最後で変わっていますから。
「貴方がいたから、わたし……」暫し意味が分かりませんでしたが、こうして見ると居場所があってよかったなあ、というセリフかと。


以上のテーマを時にセリフで、時に沈黙で、表現しながら進んでいくのは、上手でした。
特に沈黙時にも体は勿論、目の些細な動きで表現しているというのは、アニメでは凄いことなんではないでしょうか。多分。目のアップでの表現というのはよく見ますけれども。
それとも最近のアニメでは普通?
セリフや沈黙は、使い方は斬新というわけではありませんが、使い所をよく弁えていたと思います。
ただ、心配性なのか、削れるセリフが多かったのも事実。視聴者の理解力を信用していないんでしょうか(笑)。脚本家が小説家でもある故ということも考えられます。
ナレーションも同様に気になりました。
あと、僚の犬が蔵前だけからご飯を食べるのは、ご都合でした。本編に繋がる設定なんでしょうか。


そういや、前半山谷の少ない番組でした。
勿論、さり気無い所で喜びながら飽きずに観られたんですが、ロボットアニメとしてはどうなんかなあと思わないでもないです。
ま、楽しんだのなら僕が気にすることじゃありませんし、ファンなら観ますよね。
ずるい環境ですが、お陰でこういう話を作れるのならいいことだなあ。
更に余談ですが、クライマックス少し前くらいから何だか勢いで押された気がしました。
その辺どうだったのだろうともう一度観たのですが、やはりまた押し切られてしまいました(笑)。
もう一回観た方がいいのかなぁ……。


SF設定の話も少し。
L計画の「Lボートが今どこを進んでいるかは分からない」という設定は、最初聞いた時は勿論「なんじゃその計画は!」と、笑ってしまったのですが、後で「フェストゥムは思考を読む」という話が出てきて納得。
ファンを相手にしているのならこれでいいのかも。
ただ、何も知らない僕のような人間には、釈然としない時間が長かったかと。


あと、フェストゥムが(最初)海に入れないというのは、海が地球の生命を生み出した(少なくとも育んだ)神聖な場所だから、という暗喩かなあと思っていたら、最後、普通に入って来ましたね(笑)。
でも、(僚の解釈では)それで彼等が命になったらしいので、倒す機会なり和解の可能性なりを感じさせる場面だったんでしょうか。どうなんでしょう、ファンの方?
邪推ですが、最後僚の前に出て来たフェストゥムが、海に入る時に体の一部を結晶化させてしまった物が、前の場面でのマリンスノーになったんじゃないのかなあ。そうするとまた色々解釈できますが、幸せな方向の解釈もあるのでそれを信じておこう。


観ながらどうしても『戦闘妖精雪風』や『新世紀エヴァンゲリオン』や『EDEN』などを連想しないでいられないのは、SFの宿命でしょうか。
多分読んでいる人は「人類補完機構」シリーズも思い出すんでしょう。


関係ありませんが、「左の右」というタイトルでしかも心の交流の話ということで、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』を思い出しました。
冬休み中に観ようかしら。

*1:微妙に文法に突っ込みたいけど(笑)。

*2:後で確認すると「羽佐間」という字でしたが。

*3:多分、「あなたはそこにいますか?」に繋がっているのかなあ。偶然かも?

*4:本人視点で。