今日の恥ずかしいこと

ロッテリアで一人本を読みながら、笑ってしまっていたので、もし見た人がいれば変に思われたでしょう。
でもそれはまだましな方です。
読んでいた箇所がフタナリの射精シーンだと知れたらと思うと、ゾッとしません……。
漫画でなくてよかったなあ。


読んでいたのは平野啓一郎日蝕』です。
「面白い芥川賞受賞作」と言われたので買ってみたんですが、久々に素直に楽しんで小説を読めました。
……と思ったら『龍の玉座』があったんで、久々と言うほどでもありませんね。
札幌に「ロール&ロール」Vol.19と『ソング・シーカー』が入荷する前に読み終えられたのは僥倖。読むのを中断してしまいたくない小説だったんで。


これは十四世紀フランスのドミニコ会士なるお坊さんが、イタリアへ旅する途中立ち寄った村で、様々の奇跡のような出来事、あるいは奇跡に出会う、という筋の物語です。


(ネタバレします。ネタバレにさほど問題があるとは思えませんし)


当時時代遅れになりつつあった(らしい)トマス学者の主人公が極めて聡明かつ信仰心厚いな人物として描かれています。
その主人公をして、異端に違いないと思えるけれどもしかし告発する気にどうしてもなれない偉大な錬金術師ピエェル。
ピエェルが人目を忍んで度々訪れる洞窟に眠っている両性具有者*1
村人が見る山ほどに巨大な男女の交わりの幻、その後必ず訪れる雨と虹。
村を襲った病の原因として捕らえられ、有罪判決を受けた「魔女」の処刑の時に起こる、ある様々且つ一つの奇跡。


物語の展開を挙げればこんなところでしょうか。
これらを、主人公の回想録として擬古文で綴った小説です。
沖で待つ」は「へえ、技術があるんだね。それで?」と思ったんですが、この小説は技術がちゃんと必要な風に生かされているんで、とても面白い。
そして、(文庫版を読んだんですが)四方田犬彦の解説がまた非常によい。読むべき点をはっきりさせてくれています。
芸術や文学といった物は、評論無しには成り立たない、と誰かが言っていたのを思い出しました*2。いや、僕が読めていないだけなんですけどね(苦笑)。


また、この小説が芥川賞を受賞した当時、新聞で見た選評の引用に、「擬古文であることはいいとも悪いとも評価していない」という趣旨の言葉があったような気がするんですが、もしこの記憶が確かなら、僕の感覚と大きくかけ離れていて驚いてしまいます。
個人的に思うに、この小説は、この文体にちゃんと意味があります。
主人公の抱える宗教上の疑問、懸念、使命感などは、現代日本人が直接に持ち得る物じゃないんで、これを現代文で描いてしまうと、自分の延長で理解される分、かなり嘘臭い小説になってしまうと思います。


何はともあれとにかく面白かったんで、素直に「こんなセッションをやってみたいなあ」と思いました。
いやいや、『メイジ:ジ・アセンション』『メイジ:ジ・アウェイクニング』、あるいは『アルス・マギカ』をやりたいという意味ではありませんよ。
(それはそれでやりたいですが)
「小説でなければ成り立たない物語」だった*3んで、「RPGじゃないと成り立たない物語」ってのも見てみたいなあと。


平野啓一郎は少し追い掛けてみたい。

*1:アンドロギュノス、と振り仮名が振られていました。

*2:余談ですが、RPGにもこういう側面があると思います。楽しみ方が人によってばらばらなんで。

*3:押井守ならもしかしたら巧く映画にするかも知れません。