生き様を失った武侠

本当に久しぶりに、『扶桑武侠傳』をプレイして、「生き様を失うことの楽しさ(?)」を実感しました。
プレイヤーやるのは人生で三回目くらいじゃないのかなあ。
とは言え、コンベンションのテストプレイなのでシナリオ内容には触れられないんですけどね。
扶桑武侠傳』の紹介は、手前味噌ですがこちらをご覧ください(宣伝)。
http://s2-it.hp.infoseek.co.jp/walk-through-fusou/introduction.html


今までプレイヤーをするには苦手意識のあった『扶桑』ですが、今回は普通に楽しかった。
ロールプレイをすることと、話や戦闘を展開させることが乖離していないのが面白い。
勿論、シナリオとハンドリングがよかった、というのも大きいんですが。


『扶桑』の武侠には必ず、誰にも譲れない「生き様」があります。武侠以外で持っている人も多い。
それが今回、僕の武侠のは「決断」。どんな決断かというと、「小さい頃に故郷の村を滅ぼした奴を断罪する」という決断です。
そして、戦闘中、そいつを自分の手で倒しました。
その瞬間、武侠なら誰もが持っている筈の「生き様」を、失ってしまいました。
「俺、これから生きていく意味があるんだろうか……?」なんて思ってしまって。
仁侠という(ルールブック曰く)クレリックのような立ち位置の武侠だったんで、一応、次のターン*1には倒れている味方の許に駆け寄ったんですが、気もそぞろで。
そのターンのうちにあっさりと、別のNPCに殺されてしまいました。
本当、「生き様」を失った武侠は生きている意味が無いよなあ、と、妙に冷静に実感。


この体験は素敵でした。


扶桑武侠傳』のオフィシャルページでは、質問に対して、とても丁寧に回答がされています。毎回楽しみに読んでいます。
http://www.arclight.co.jp/r_r/fusou/support.html
でも、この日記を読まれた方にお願いです。
上の僕の大切な体験、「壊れ物」を守る為に、「生き様を達成してしまった武侠はどうなりますか」といった類の質問は、しないでください。
なんて、イタいですかね(苦笑)。
まあ、客観的に、この問題はオフィシャルに頼らずその時々で判断するのが楽しいとも思いますし。

*1:『扶桑』では次の[場面]と言います。判定の起こる度に[場面]が展開されるわけですね。