僕は祈る。

上京する時に空港で、ノベルス化記念と暇潰しの為に買った『好き好き大好き超愛してる。』(舞城王太郎)の表題作を読み終えました*1

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

世界の中心で、愛をさけぶ』の読者に向けていると言われることもある作品。
感動してちょっと涙ぐんでしまいました。しかも作品と関係あるんだかないんだか分からないことで。だから以下は、僕のごく個人的な話で、小説その物の感想を求める方は他を見られた方がいいかと思います。


癌で彼女を亡くした小説家の主人公の治を取り巻く話の合間に、何やら小説めいた物が挿入されていくという構成のお話です。


治は彼女が亡くなった後発表した小説で、その彼女の兄弟から責められます。
「なに姉ちゃんのこと使ってんだよ」「俺達はお前の小説で描かれているみたいじゃない」
最初は仲のよかった彼等にも、最後には絶交されてしまいます。
それらの事件に関連して治の「癌で死に向かっていた/死んでしまった彼女」に対する思いと小説に対する考え方が述べられます。


それと平行して、折々に挿入される物語。
治が書いた小説と、テーマが同じで、でも全然違う話。特に治パートと関係あるということには、最後までなりませんでした。
どの物語も男の視点から見た女の話で、殆どの話では女の方は重い病気に罹ってしまっています。その点で治自身やその小説と似たテーマに。ついでに『世界の中心で、愛をさけぶ』とも似たテーマに。
作中、


一人の人が一つの夜に見る夢は大きな一つの物語の破片で、全世界の全員の夢を繋ぎあわせると長くて面白くてびっくりする物語が出来上がるらしい。
と書かれていることから考えるに、世界の誰かが書いた、治の小説と繋ぎ合わせるべき物語達なのかなあ。


東浩紀の受け売りですが、現代では万人が共通して受け入れられる物語*2というのは無いらしく。でも舞城はそれに対して、「全部を繋ぎ合わせる」という方法を提案して真摯に向かい合っている人なのかなあと思うと、ちょっと感動して、ここで涙ぐんでしまったのでした。
これは僕がRPGを趣味にしているのと関係あるのかもしれません。それ故に思い込みに過ぎないかもしれません。


舞城の方法がうまくいってくれるよう、僕は祈る。祈りは力を持たず何の為でもないけれど。




追記
「私たちは素晴らしい愛の愛の愛の愛の愛の愛の愛の中にいる。」と併せてお読みください。
好き好き大好き超愛してる。」は平行に物語を並べているけど、「私たちは素晴らしい愛の〜〜」はメタフィクションで、言わば垂直に並べている感じです。

*1:同時収録の「ドリル・ホール・イン・マイ・ブレイン」は雑誌で読んだので、もう一回読むのは結構後になりそうです。

*2:「物語」という言葉を使って価値観を意味しているみたいですが、ここでは文字通りの物語でOK。