熊の場所

たまたま図書館で見付けて借りて来た舞城王太郎の『熊の場所』(ノベルスの方)。三本の短編が入った本なのですが、表題作だけ読みました。続きは風邪でダウン。

熊の場所 (講談社ノベルス)

熊の場所 (講談社ノベルス)

タイトルと表紙絵に騙されてはいけません、残酷な話です。
小学生の僕=沢チンが、猫を殺しその尻尾を集めているという同級生のまー君と関わっていくお話。


ある日学校でまー君のランドセルが落ちて中身が飛び出した時、そこに何故か猫の尻尾を発見した僕は空恐ろしくなって、学校が終わったらもう大急ぎで家に帰ります。
しかし、家でまー君のことを考えている時に父の話を思い出します。表題にも使われている「熊の場所」についての話です。


父が山登りをしている時に、ガイドと共に出会った熊。父は逃げ出しガイドの方はその場に取り残されたのですが、しかし父はまたその場に戻ります。
それは見捨てたガイドを助ける為ではなく、一度熊から逃げ出したという体験が己を縛って、二度と山に入れなくなることを、克服しなければならない、と感じたから。
結果父は熊を殺し、たまたまガイドを助けることにもなるのですが、やっぱり重要なのは、父がもう一度ちゃんと山に入って熊と対峙できた、そのことだけなのです。


それを思い出した僕は決意して、すぐにまー君に会いに行きます。
会いに行っても特に用が無いので困って、取り合えず一緒にサッカー。まー君がめちゃめちゃ巧いのに驚かされ、それを知っているのが自分だけだということに喜びを覚えます。
そして、この時点で既に、僕は熊の場所を克服してしまっています。


あとはまー君の怪奇衝動(猫の尻尾を切り取る)と、それがグレードアップして矛先が僕に向いた物、街で猫だけでなく犬が消えたり、とうとう子供まで行方不明に、という事件を描いていき、最後にまー君の「熊の場所」が明らかになって終わります。
まー君が猫の尻尾を切ったり何なりしていたのもやっぱり「熊」のせいで、それを克服していなかったから起こっていたことなのです。


途中までは、恐ろしいまー君にさらされつつもそれに喜びを見出す僕という、面白い状況で読めたんですが、最後には僕が第三者的なただの語り手、実況者になってしまって、その辺がちょっと不満でした。
狂気とか恐怖とか熊の場所とか、もっと面白く深く描ける筈なのに。
まあ、ラストを考えると第三者的になってしまうのは仕方無いのかも知れません。自称でしか書かない舞城王太郎の弱点なのかも*1。「自称で書き続ける」ということにはパワーがあってきっと価値もあると思うんで、巧く克服してくれるといいなあ。それとも僕が読めていないのか知らん。三島賞を取り逃した時の選評ではその辺触れられていないんで、ちょっと不安になります。ちょっとだけ。

*1:煙か土か食い物』では一部、他称による場面もありましたが。