バット男

ううーむ。


これも「熊の場所」と同じく、最初のうちに主題を説明しています。


バット男というのは街をバットを持って歩いていて、通行人を脅かすのだけど実際に殴るだけの勇気だか行動力だかを持ち合わせていない人。だから柄の悪い高校生あたりには逆に絡まれて、バットを奪われて、それで殴られたりしてしまうのです。
それを冷ややかに眺める主人公はバット男のどうしようもなさ、絡む側のストレスの発散の法則、どちらも理解できて、「仕方のないこと、システムの一部」とバット男周囲の現象を理解しています。
この「システムの一部」というのが主題で、バット男のように、どうしようもなくて、誰かがどうしようもない自分の性のせいで不幸になるというのは、いつでもどこにでもいるものなんです。主人公は一応、バット男がバットを実際に振るってその「どうしようもなさ」から抜け出せることを、願うのですが。


で、バット男と関係あったりなかったりする友人の波乱を描きながら、そこここに見え隠れするバット男と同じ「システム」「仕方なさ」の身近を感じて、自分はそれからちゃんと距離をとっておく様子を描いています。


これがもう徹底的に、「熊の場所」以上に第三者視点で、何とも何ともという感じでした。
ただ「熊の場所」と違って、結末があやふやなまま、ということに意味があって、それを描くのに自称というのは自然なのでまだ意味はあると思いますが、主人公は全然何にも巻き込まれないのです。眺めるだけ。現代社会の様子をスケッチしてみました、みたいな印象です。
このバット男のシステムは充分説得力があると思うんで、他に描き方が無いのかなあと考えてしまいますね。


うーむ。