プロトコールの必要

予め「理解し合う手順」を作っておかなくてはならない、それを持って「こうなったらお互い理解し合ったんだ」ということにならなくてはならない、みたいな雰囲気、今、無いですか?
オタク的なコミュニケーションの方法だとは思いますけど、それだけに留まっていないような気がするんです。昔から言われていた「コードを通して理解する」というのが今益々重要なんじゃないかな、そして何より、そういう中でどう生きるか、が、重要なんじゃないかな。


なんて妄言。人に訴えているようで自分に言い聞かせている問い掛け。
あー恥ずかし。


追記。
コミュニケーションの道具だったプロトコールが、今はコミュニケーションその物になっている、ということなのかな。