通過点

久々に『2』を読んだら読みやすくて『遠藤浩輝短編集1』にも手を伸ばしてしまいました。

遠藤浩輝短編集(1) (アフタヌーンKC)

遠藤浩輝短編集(1) (アフタヌーンKC)


これを初めて読んだ時は確か高校生で、最高に格好いいとか思っていたんですが、今読んだら若いなあという感想。
本当に誰もが考えるわけではないと思うんですが、いわゆる「誰もが一度は考える問題」を正面から扱った作品達です。


「カラスと少女とヤクザ」 - 弱者には弱者の見方がある。それどころか弱者は自分で「負けた」と思ってすらいないんじゃないか。
「きっとかわいい女の子だから」 - 周囲の人間は誰も彼も自分より優れている。もう嫌になる。
「神様なんて信じていない僕らのために」 - 咀嚼前の心理学的知識を使った、巧く生きられない(と自分で思っている)人達の群像劇。


テーマや手法自体そもそも若くて、今連載中の『EDEN』ではもっと突っ込んだことをきちんと咀嚼して扱っているんですが、でも、この短編集に価値が無いわけではなく。
こういうのを描く時期というのは、絶対に必要なんだと思います。
テーマは今の僕にとって「若い」物ですが、でも多分僕が物語を創ったらこれにも及ばなくて、物語にできるテーマっていうのはいつも一歩後ろにいるものなんだよなあ、と思ってしまう。
こういうテーマを一回作品という形で外に出しておかないと先に進めないんだろうなあ。


そして勿論、こういうのを読む時期というのも、必要なんでしょう。
今は殆ど感傷で読んでしまいますが、当時は本当に価値を感じていて、何度も何度も読んだわけで、行き所の無い気持ちをいくらか掬い取ってくれたんじゃないかなと思っています。


あとは疲れたり憂鬱な時に読んで元気を回復するくらいかなあ。
まざまざと作品の「消費」という言葉が脳裏に浮かんで淋しく思いました。