悲哀

クライマックスがハイライトになることは少ない。
それはそうだ。
クライマックスが仕組まれた物であることは、誰もが理解して、了解している。
そんな状態では、当たり前のようにクライマックスをやって、当たり前のようにテーマの実現がなされて、当たり前に物語は結末を迎える。
だから、キャラクターの本当の言葉や振る舞いというのは、そうでない場面で、見られる物なのだ。


……というわけで、全編ネタに溢れて、クライマックスだけストーリーテラーの意図通りになる、というような『ワーウルフ:ザ・フォーセイクン』をプレイしました。
いや、クライマックスでも笑いが溢れまくっていましたが。
おかしいなあ。シナリオには「ムードは悲哀と戦慄」って書いてあったのになあ。

  • ボウリング場の看板のピンの上に、「人が倒れて引っ掛かっている」と言ったつもりが、どうやら「立っている」と言ってしまったらしくて(光景を想像してみてください)、一同笑いの渦とか、
  • 愛の精霊に取り憑かれた女の人(Love-Spirit-Claimed)が、プレイヤー・キャラクターに迫ってその異常を示そうとしたんですが、キャラクターはとうとう、彼女を受け入れてしまったりとか(今後の話がどうなるか想像してみてください)、
  • ワーウルフ同士の、信念とパックの今後を賭けた決闘の方法として、「ボディビル」を提案するとか(想像するまでもありませんね)、

ストーリーテラー・キャラクターを格好よく演じることができなかったのも手伝って、ほとんどプレイヤーだけでハイライトシーンを作ったようなプレイでした。
いやもちろん、紹介しなかっただけで、プレイヤー・キャラクターのかっこいい場面もありました。


まあそんな中だったので、「ワーウルフは、生きれば生きるほど、自分を失う危険が高まる、悲しい生き物なんですよ」というテーマは、理解してもらったとは思うんですが、伝わったかは微妙だなあ。
その場でふさわしいシーンを考えるのがほんとへたくそで、シナリオの場面場面を予め全て作っておけない場合は、かなり失敗している……。