夢と現実と物語

舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。』を読みました。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

うーん。やっぱり、「佐々木妙子」と題(?)された、ツトム少年の話が引っ掛かります。


一応「大好きな女の子を失ってしまう」という構造は、他の話と共通しているのですが、これだけ雰囲気が違います。


きっと、女の子を失うことから、物語のありように重心を移した話だったんだろうなと、今日読んで思いました。



この物語で様々に語られる「病気などで大事な女の子を失う」物語は、やっぱり、安藤治の書いた小説なんだろうな、と思いました。治パートで語られる治の小説の内容と、実際本に書かれている物語とに多少の齟齬はあっても、やっぱり、そうなんだろうと。
治の体験や想いがその作品に反映しているように見えます。


そこで、「佐々木妙子」を考えてみると、これは結構怖い話なのかなあ、と。
夢=物語から、人食い蛇が現実の世界に飛び出して、おじさんの姿をとって、学校の教室の生徒達を、食う代わりに包丁で刺し殺してしまいます。
ツトムは夢の中で名前を聞いて、あったことも無い佐々木妙子のことが好きになってしまって。顔も性格も分からないのに、その「好き」って気持ちは目が覚めてもずっとずっと、何年も心の中に残っていて。
数年後、現実世界で、佐々木妙子はもう殺されていて、地面に埋められていて。
これも治の体験や想いが作品に反映しているんだろうなあと、小説と恋人とその弟達との関係について治が考えたことを反映しているんだなあと、思うと、ううむ奇麗なだけでは終わらないなあ。
上の二つは、現実世界で起こっている事件を、反映させているのかな、と思うんですがどうでしょう。




おかしいなあ。謎解きみたいなことがしたかったんじゃないんだけどなあ。
感想が謎解きや読解の形をとってしまう癖は変えたいなあ。
気持ちを伝えるのにもっと他の方法があるだろうと。