ボトルネック

コンベンション打ち上げの二次会の終盤、米澤穂信のファンと『ボトルネック』の話をしました。

ボトルネック

ボトルネック

最後には、その人はあまり話をしたくなさそうになっていたのに、ちょっと気付けることがありそうだったので、それを言葉にする為に、付き合わせてしまいました。


気付いたことというのはこういうことです。
この小説は、米澤穂信が自分の文体に自覚的に、つまり効果があるということを自覚して書いたものなんだろうなということ。正確には自覚があるかはどうでもよくて、文体と内容とがマッチしていたのが重要なのですが。


文体という語は曖昧に使われることも多いので確認しておくと、「部室に入った時には鍵が開いていたのに、気付いたら閉まっていた」その原因が、「巡回の用務員さんが閉めてしまったから」*1、というように簡単で、まあそうかなと思わせる「推理」の積み重ねを、得意とすることです。それと、そうした事実を突き放したような視点で語ること。


ボトルネック』は「自分ではなく、代わりに(?)死産だったはずの姉が生きているパラレルワールドにやって来てしまう」というお話です。
で、バタフライ効果みたいな逃げをせず*2、「簡単でまあそうかなと思わせる推理」を積み重ねます。主人公が自分が生きている世界と、生きていない世界の違いを、「詳細に」「説得力を持たせて」「突き放した視点で」、一つ一つ丹念に納得していきます。読者にも納得させていきます。


その上で、あのエンディングに持っていくわけですから、僕は唸って引っ掛かって、今日この日記を書くまで憶えていて、しまったのです。
よく分かりませんがこういうのを多分、その人の傑作と言うんでしょうね。
文体と内容がマッチしているんだからそりゃ気持ちいい(=気持ち悪い)し人気出るわ。
読んでいて楽しい本だったもんなあ。


関係無いけど、主人公のお姉さんがすげえ奴だったなぁ……。
サキじゃない方のお姉さんです。名前を忘れちゃいました。


この話の最大の欠点ですが、僕が読んだことのある米澤穂信の小説が『氷菓』と『ボトルネック』だけで、サンプルが圧倒的に少ないことです。

*1:氷菓』より。

*2:本当は「逃げ」とは思っていませんが。