信長の棺

日曜洋画劇場でやっていた、『信長の棺』を見ました。
物の本で「長い話を、全部、一人の登場人物視点で描き切った」と書かれていて、それで原作小説を読みたかったのでした。これだけだと普通ですが、最初、『信長の棺』は視点もばらばらで時系列も乱れていて、困っていた、と後に原作者が述解しているところから、それが後にどう変わったのか、そこに興味があったのです。
そんなわけで、とりあえずは、そこのところに興味を持って観始めました。


でも、より気になったのは主人公太田牛一(又助)の忠誠心でした。


冒頭で織田信長が死にます。
又助は紆余曲折を経て、豊臣秀吉の下で働くことになります。『信長の棺』はその条件下で、「見付かっていないという信長の遺体は、一体どこにあるのだろうか」を探るミステリーになっています。
そしてその探求の一番の動機が、又助の忠誠心になっているのです。
仕えていた人が死んで十何年も経って、それでも厚い忠誠を失わないというのは時代劇じゃないと描けないだろうなあ、とまでは言いませんが、現代日本が舞台だと嘘っぽくなるだろうなあと。これは『功名が辻』(テレビの方)を観た時にも感じたことで、意外と忠誠心というのは、現代人に訴えかける物があるのかなともちょっと思いました。「失ってしまった物」ではない、形で。